2015年4月10日金曜日

Chineisan massage



∞内臓マッサージ∞
チネイザン

お母さんに初めてチネイザンの施術をした。
第3チャクラ、横隔膜に大きなブロックがあって少し手を添えただけでも身体を跳ね除ける程痛がる。
深い呼吸を促して、徐々に母の身体に深く入っていくと、お母さんが涙をして辛い過去を話してくれた。

タイ帰国後、母と喧嘩をして、北海道のニセコに来た。
一番大好きなはずの人と傷つけあって、上手く感謝が出来なくて。
私はいつもお母さんには偉大な人であってほしくて、認めてほしくて、強くあってほしかった。
けれど、お母さんも人間。
弱いところも痛みも有るんだね。
ごめんね、
分かってあげれなかったのは私の方だ。

涙が出て、感情のリリース。
そうしたら、まるで第3チャクラの痛みがなくなったよう。

あんなに痛かったのにね。

身体は不思議。
内臓は不思議。
その滞り、感情を溜め込み、行き場のなくなった氣が病気を作り出してしまう。

最近のチネイザンの施術は、クライアントのインナーチャイルドや過去の痛みが出てくるようで、皆声を上げてわんわんと泣いてしまう。

そんなクライアントをみると、涙が美しくて、私の心も暖かくなる。

ごめんね
ゆるしてください
ありがとう
大好きです



2015年4月5日日曜日

bye niseko





I SEND Mt.YOUTEI BIG LOVE.
出発の日、羊蹄山は今まで最も美しく輝いていました。
有難う。

2015年3月25日水曜日

ニセコ 羊蹄山の思い




旅は何処へ続いていくのだろう∞
私は何を求め、何に動かされ、何を為していくのだろうーーー


物理的に距離を動いていると、自分自身のエネルギーの循環の回転が早まるように思う。
スピリットの成長も早いようで、
学びが多い。

様々な場所を見て思うのは、自然の有無に関わらずエネルギーのどよーんと停滞した地域がある。
またそこから少し離れるただけで、物凄く透明感があり美しかったりする。
身体の経絡や血液の滞りのように、地球にもエネルギーの目詰まりしたスポットがある。
逆にパワースポットというのは、エネルギーの循環の勢いが良いスポット。身体のツボのような気の出入りする場所。そういう場所は、土地のエネルギーの循環の波動と共鳴して、自分自身の循環も促される。
そういうものを身を以て感じ、会得していくのが、旅の面白さ。

もうすぐニセコの旅も終わります。
あと一週間。

 実は、私はニセコ比羅夫のこの淀みにどうも馴染めなかった。
この土地に来て、羊蹄山を初めて見たとき”山が泣いている”と強く感じた。
山の壮大な生命力が感じられなかった。
羊蹄山は美しいけれど、どこかどうしようもない淋しさのようなエネルギーを感じる。


ー2014年の2月から4ヶ月。
私はバリにいて、
はじめはウブドという土地にいて、その時に感じた感覚と今のニセコの感覚はすごく近い。
ウブドの街は、オーガニックをうたうお店やヨガの教室、スピリチュアリズムを求めて全世界から人々が集まっていた。
とても小さな町だけれど、バイクと車はいつもごった返して、villaやゲストハウス、ホテル、カフェ、バー、雑貨屋などが沢山あった。
観光地化が進み、外国人資本経営のものが殆どで。
かつてのウブドは田んぼの田舎風景が広がり、蛍が飛んで、のーんびりとした自然と調和した美しい安らぎのある町だったという。
今はその田んぼには、プール付きのvillaが沢山立ち並んでいる。

私はウブドにいるとき、とても息苦しかった。
この発展の仕方は異常だと思い、疑問を感じていた。
観光地が進み、沢山の人々がその土地に入ることは良いことのように思うけれど、その土地に根ざした文化は確実になくなっていくのだった。

その後、バンリというウブドから山の方にあがった田舎町に住まいを移した。
そこでは日本の100年前にタイムスリップしたような田舎の風景が残っていて、経済的に発展していなくとも、素晴らしい助け合いの精神と文化がそこにはあった。
そこでお世話になったお寺の僧侶が"Return to Traditional"と、よく言っていた。

そんなバリでの思いを、ニセコで思い出す。

ウブドの発展の仕方とこのニセコの比羅夫はよく似ているのだと思う。
人々が出入りが激しくて、様々なエネルギーが渦巻き、良くも悪くも混沌とした町。
観光業と文化保存の問題はいつも隣り合わせだ。
外を歩いているのは80%が外国人。
この比羅夫で、地元の人には滅多に出会うことはない。
地元の人の生活はここにはないように思う。
何処へ行ってしまったのだろう。
かつてアイヌの聖地だったとも言われる、このニセコ。
後ろを振り返ると、大きな大きな羊蹄山が私達を見ている。

 私には、羊蹄山が哀しげに私達を見ているような気がして、申し訳ないような気になる。
疲れちゃうよね、羊蹄さんーーー

そんなニセコの生活も、もうすぐ終止符。
色々なことを考えさせられ、いわば修行のような長い冬でした。
心苦しかったときに支えてくれた友人達、ここで出逢えたかけがえのない友人達のおかげで無事4ヶ月の雪山生活を終えることができそうです◉✴︎∞

そんな人との出逢いを繋げてくれた羊蹄山に、今一度感謝。
いつも私たちを見守ってくれて有難う。
ありがとう、ニセコ。

Love the earth.
結弥

2015年2月17日火曜日

massage and dance.



 




マッサージをしていると、閃きがおりてくる

何か超越した違う空間にいるようなゾーンのようなトリップができて、
時間なくなるトキがある**

集中を研ぎ澄ました瞬間に訪れる最幸な瞬間。

そういうときは堪らなく気持ちよくて、疲れない。
そういうときは終わったあとのクライアントの表情も、すっきりしていて
awasome!と言って、チップをくれて、名前を聞いてくれる。
海外のクライアントは感情表現が豊かで分かりやすいので、嬉しい。

心と心がシンクロしあって、
完全に一体感となって、クライアントともに気持ちいいところにいける。

毎日12時間程10人の人々の身体を触りながら、
たまに魂が削られるような
吐き気がするようになることもあるけれど、やっぱりマッサージが好きだなあと確認する。

毎回はっとされるような自己内観に出逢う。

――マッサージは瞑想なのだ


最近はダンスをするように、マッサージをしています。
 身体性の解放という点でマッサージとダンスはよく似ている。

マッサージ自体に一つのストーリー性が生まれ、
リズムが生まれる。

  陶酔・光悦状態に陥りやすい。

  身体を全体で使うので、腕や上半身が疲れない。

ダンサーのように、ダンサーであると意識をすることで、
自分と切替ることができてクライアントからの波動を断ち切りやすい。

そして、すべてのムーブメントの
美しさを意識する。

それだけで、身体の使い方、手先の細部さ、姿勢のポジショニングが変わる。


黄金色に輝く、美しい光。
そんなダンスをしていたい。


美しく在りたいと
日々願う。






写真-ballet russe




2015年2月8日日曜日


I NEED

 A MORE SPACE

     FOR ME.
訳もなく、泣きたくなる

溢れ出しそうな哀しみを

冬のせい
恋のせい
満月のせい
木星の逆行のせい
この土地のせい
時代のせい
ソウルのせい
宇宙のせい

何かにつけて、意味をつけたがるけれど、

意味を探したところで 意味をもたず、

ただ私をながめて、見守っていればいい。

哀しいときは泣けばいい
考えなくてもいい

そうやって自分に語りかけて

ほっぺから涙がつたって、お客さんの足に落ちた

マッサージをしながら、
自分との対話をする日々。





2014年2月11日火曜日

地球のなおし方







昨日はセヴァン•スズキの映画、

地球のなおし方

の上映会に行ってきました。



彼女の12歳のときの、このスピーチ是非聞いてみてください。


...

環境問題と言われても、難しい。
ぴんとこない。自分の生活と直結していない。
1年程前まではそう思っていました。

オーストラリアでの、あの夜明け。
強烈な体験だった。
夜明けに、テントから出て野原に座った。
太陽が高く空を登っていくと、優しい光が身体を包み、途方もない安堵。お母さんの温もりに似ていた。
光を感じ、鳥が一斉に騒ぎ出し飛び立つ。
草もね、太陽が顔を出すと、すくっと上を向くの。
顔を上げるの。生きている。
私も草になって、ただそこにいた。

夜明け特有の生命が輝く瞬間。
陰が陽に切り替わり、いのちが目を覚ます。
全ては一つであること。
繋がって、共存して命はあること。
シンプルだということ。


そんなことを漠然と感じ、身体の底から感謝が溢れだし、命の紡ぎに感心して。
同時に自分の無力さを果てしなく感じ、3時間ずっと泣いていた。

それがきっかけとなり、命のきらめきを知った。
例えばペット、家の観葉植物、冷蔵庫の野菜、ベランダから見える木々、道端に咲く花、石ころ。
そのひとつひとつが同じ命で、生きていることを知った。
命は光ってる。

ペットにはこんなにも愛情を注ぐのに、人間と同じように病院に連れて行き入院させるのに、なぜ私たちは他の命を愛せないのか。
ううん、きっと今なにかに愛を注ぐ人は同じように全てを愛せると思う。
自らが与える愛はどこまでも果てしなく広がっていく。
感情を傾けてみたら、気持ちは誰にだって分かるはず。
植物の声、鳥の声、空の声、風の声、大地の声。
誰かが泣いていると思うと、助けたいと思うのが人間だ。

地球も一つの命。
私達の細胞が宇宙のように集合し何億と宿り、身体を形作るように、大きな大きな命なんだと思うのです。

私は合成洗剤を使うこともあるし、化学繊維の服も着るし、牛皮のバッグを使う。
私は、無知で、大きなことを言えるような身振りはしていない。
けれど、少しずつ、変わっていこうと思う。
日常にこの溢れた物がどこから来て、どこへ行くのか。
自分の目で確かめ、真実を知りたいと思う。

人の助けを借りながら、自分の手の届く範囲での生活にシフトチェンジしていきたい。

何より、それは楽しい。
便利やファスト、効率を求めていると、なんだか楽しくない。
次第とお金で何かを買うことしか喜びを見出せなくなる。

自分で育てたハーブ、季節の野菜を使って料理をする。
大根と蜂蜜で喉の痛みをとる。
生薬で化粧水を作って、ホホバオイルで肌を撫でる。お酢やユーカリのオイルを使って床掃除をする。
自分で洋服も作ってみたいし、沢山挑戦してみたいことがある。

生活の知恵が少しずつ増えていって、喜びが増え、それは誰にも侵害されることない自分だけの財産。
人生回り道した分だけ幸せなように、生活もきっとそうなんだ。

発展途上国なんて、誰が決めた言葉だろう。
土地に根ざした文化を閉ざし、均一化されていく社会。どこの国に行っても、都会は高層ビルが立ち並び同じ風景。見慣れた風景。

幼くして飢えで亡くなる子供は少ないけれど、自殺大国の日本。医療が整い、物が溢れ豊かなはずなのに、なぜ心はこんなに苦しいのだろう。

私の仕事場のマッサージのお店には毎日お客さんが沢山来たけれど、こんなにも身体が硬直し、鼓動が早いのはなぜだろう。
交感神経が常に優位になったような状態。何に怯え、気を荒くする動物のように見えるときがある。
疲れ切って、少しでも風が吹けば消えてしまいそうな人もいる。
元気そうに見えても、私、鬱かもしれないです、そう言う。

傷ついた人々。
その原因はなんだろうか。

地球も。人間も。
元気に、なってほしいと
心からそう願う。

環境問題を考えることは、人間を考えること、いのちを考えること。
そして自分を見つめること。
全て繋がっているのだと思う**