2014年2月11日火曜日

地球のなおし方







昨日はセヴァン•スズキの映画、

地球のなおし方

の上映会に行ってきました。



彼女の12歳のときの、このスピーチ是非聞いてみてください。


...

環境問題と言われても、難しい。
ぴんとこない。自分の生活と直結していない。
1年程前まではそう思っていました。

オーストラリアでの、あの夜明け。
強烈な体験だった。
夜明けに、テントから出て野原に座った。
太陽が高く空を登っていくと、優しい光が身体を包み、途方もない安堵。お母さんの温もりに似ていた。
光を感じ、鳥が一斉に騒ぎ出し飛び立つ。
草もね、太陽が顔を出すと、すくっと上を向くの。
顔を上げるの。生きている。
私も草になって、ただそこにいた。

夜明け特有の生命が輝く瞬間。
陰が陽に切り替わり、いのちが目を覚ます。
全ては一つであること。
繋がって、共存して命はあること。
シンプルだということ。


そんなことを漠然と感じ、身体の底から感謝が溢れだし、命の紡ぎに感心して。
同時に自分の無力さを果てしなく感じ、3時間ずっと泣いていた。

それがきっかけとなり、命のきらめきを知った。
例えばペット、家の観葉植物、冷蔵庫の野菜、ベランダから見える木々、道端に咲く花、石ころ。
そのひとつひとつが同じ命で、生きていることを知った。
命は光ってる。

ペットにはこんなにも愛情を注ぐのに、人間と同じように病院に連れて行き入院させるのに、なぜ私たちは他の命を愛せないのか。
ううん、きっと今なにかに愛を注ぐ人は同じように全てを愛せると思う。
自らが与える愛はどこまでも果てしなく広がっていく。
感情を傾けてみたら、気持ちは誰にだって分かるはず。
植物の声、鳥の声、空の声、風の声、大地の声。
誰かが泣いていると思うと、助けたいと思うのが人間だ。

地球も一つの命。
私達の細胞が宇宙のように集合し何億と宿り、身体を形作るように、大きな大きな命なんだと思うのです。

私は合成洗剤を使うこともあるし、化学繊維の服も着るし、牛皮のバッグを使う。
私は、無知で、大きなことを言えるような身振りはしていない。
けれど、少しずつ、変わっていこうと思う。
日常にこの溢れた物がどこから来て、どこへ行くのか。
自分の目で確かめ、真実を知りたいと思う。

人の助けを借りながら、自分の手の届く範囲での生活にシフトチェンジしていきたい。

何より、それは楽しい。
便利やファスト、効率を求めていると、なんだか楽しくない。
次第とお金で何かを買うことしか喜びを見出せなくなる。

自分で育てたハーブ、季節の野菜を使って料理をする。
大根と蜂蜜で喉の痛みをとる。
生薬で化粧水を作って、ホホバオイルで肌を撫でる。お酢やユーカリのオイルを使って床掃除をする。
自分で洋服も作ってみたいし、沢山挑戦してみたいことがある。

生活の知恵が少しずつ増えていって、喜びが増え、それは誰にも侵害されることない自分だけの財産。
人生回り道した分だけ幸せなように、生活もきっとそうなんだ。

発展途上国なんて、誰が決めた言葉だろう。
土地に根ざした文化を閉ざし、均一化されていく社会。どこの国に行っても、都会は高層ビルが立ち並び同じ風景。見慣れた風景。

幼くして飢えで亡くなる子供は少ないけれど、自殺大国の日本。医療が整い、物が溢れ豊かなはずなのに、なぜ心はこんなに苦しいのだろう。

私の仕事場のマッサージのお店には毎日お客さんが沢山来たけれど、こんなにも身体が硬直し、鼓動が早いのはなぜだろう。
交感神経が常に優位になったような状態。何に怯え、気を荒くする動物のように見えるときがある。
疲れ切って、少しでも風が吹けば消えてしまいそうな人もいる。
元気そうに見えても、私、鬱かもしれないです、そう言う。

傷ついた人々。
その原因はなんだろうか。

地球も。人間も。
元気に、なってほしいと
心からそう願う。

環境問題を考えることは、人間を考えること、いのちを考えること。
そして自分を見つめること。
全て繋がっているのだと思う**

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